気になった言葉の使い方
だいぶ前のことなんですが、ある日ポストに入ってた他社さんのチラシに、こんな文句が書いてありました。
「実家の処分、そろそろ考えてみませんか?」
同業者として見れば、ああ、よくあるキャッチコピーだなって思うんです。
でも正直、ちょっと引っかかりました。

「処分」って言い方、どうなんだろう?って。
たしかに、不動産業界では使いがちな言葉です。
使わなくなった家を売る、手放す、維持が難しいなら早めに対処を…っていう流れはよくわかります。
でもね、「処分」って響きがどうにも冷たく聞こえる。
それが“実家”となると、なおさらです。
誰も住まなくなった古い家――確かに市場的には価値が低くても、住んでいた人にとっては大切な場所。
思い出が詰まってて、決して“不要なモノ”なんかじゃないんです。
私自身、不動産の仕事をしているからこそ、実家の売却を決断するご家族の気持ちがよくわかります。
「親が建てた家だから」「何かに使えるかも」「思い出があって…」と、悩みに悩んで、やっと相談してくれる。
それを“処分”って軽く言ってしまうのは、やっぱり違うよなって思うんです。
でも同時に、あのチラシのコピーには、刺さる何かもあったんですよね。
だから未だに覚えてる。
ということは、あの言葉で「ドキッ」として、考えるきっかけになった人もきっと多いんだろうな、とも思うんです。
大事なのは、売る・売らないじゃなくて、「向き合うこと」なんだと思います。
思い出を大事にしたい気持ちと、現実的な管理や維持の負担。
どっちもちゃんと考えた上で、どうするかを決める。
私たち不動産屋の役目は、「処分してください」と一方的に言うことじゃなくて、
「どう向き合うか、一緒に考えましょうか?」って、そっと寄り添うことなんじゃないかなと。
なので、言葉の選び方ってやっぱり大事ですね。
次に自分が書くチラシやブログには、もっと気持ちが伝わる言葉を使おうって、あのチラシを見て思いました。
家は人が住んでこそ、価値があるもの
誰も住まなくなると、家ってあっという間に傷んじゃうんですよね。
湿気で柱がやられたり、カビが出たり、動物が入り込んだり…給排水管も心配。
空き家になったとたん、それまで「資産」だった家が、「負担」に変わってしまうこと、よくあります。
でも、「思い出があるから」「実家だから」といって、手をつけられずにそのままにしている方も多いです。
そしてある時、目にした言葉(これも他人様のキャッチコピー)
「実家を“無価値な空き家”として残しておくこと、ご両親は本当に喜んでると思いますか?」
…うん、たしかにそうかも。
家って、土地を買って、苦労して建てて、家族を守ってくれた場所ですよね。
そんな場所が、誰にも使われず、ボロボロになっていく姿を見たら…。
もしご両親が見ていたら、きっとつらいと思います。
本当に望んでいるのは、「誰かがまた住んで、大切にしてくれること」なんじゃないかなって・・・確かに思います。
「今すぐ売る」じゃなくて、「知っておく」ことから
べつに「今すぐ手放しましょう!」とか「売りましょう!」なんて話じゃないんです。
でも、「この先どうしようかな?」って、ちょっとでも考えておくのって、けっこう大事なことだと思うんですよね。
- 売るとしたら、どれくらいの値段になるんだろ?
- 貸すっていうのもアリなのかな?
- 兄弟がいるなら、どうやって話し合えばいいんだろ?
こんな感じで、少しずつ情報を集めておけば、いざという時に焦らずに動けます。
それに最近は、不動産屋に相談するのもぜんぜんハードル高くないです。
「相談だけでも大歓迎!」ってスタンスのところも多いし、無理に売らされるような時代でもないので(笑)
まとめ:実家のこと、考えてみるタイミングかも
親が住んでいる間は、そのままでいい。
でも、いずれは「次の一手」が必要になります。
そのときに慌てないよう、今のうちにちょっとずつ準備しておく──
それも立派な家族への思いやりだと思います。
「処分」なんて言葉にモヤっとしながらも、
あの言葉が、『僕がやるべき仕事』を教えてくれたような気がしています。